2008年10月06日

お悩み相談

あなたの悩みを聞かせてください。



誰だって生きている限り悩むもの。


その悩みが深いほど自分ひとりで解決できないもの。


そして、悩み続けた結果精神的に疲弊してうつ病になったりする人が増えている。

そんな状況まで追い込まれても人に相談できずにさらに悩み続け、自殺まで考える人もいる。


しかし、それはひとりで悩むからそういうことになるのだと私は思う。


もう自分ひとりでは解決できないと感じたら誰かに相談しよう。


誰かに悩みを聞いてもらう、悩みを誰かに打ち明けているうちにその悩みの本質に気付き、解決することもある。

もしかしたらあなたの悩みは他の人にとって大した悩みではないかもしれない。
誰かに相談するだけで、あっさり解決の糸口をつかめたりするかもしれない。

最終的にあなたの悩みはあなた自身が解決するしかない。
だからといって、あなたひとりで解決しなければならないというわけではないのだ。


誰かの手を借りるのは悪いことじゃない。

人に頼るのは悪いことじゃない。


自分では何も考えず、何もしないで人に頼りきりになるのが悪いこと。
それはあなたをひとりでは何もできない人間にする。


でも、あなたはそうではないだろう。


極力ひとりで何でもしようと頑張ってきたのではないだろうか。


確かに、ひとりで何でもできればいい。


それでもひとりでできることは限りがあるし、ひとりですべてやる必要はないんだよ。


もう一度言おう。

人に頼るのは悪いことじゃない。

ひとりで悩んでないで誰かに相談してみるといい。


あなたは誰も自分を助けてくれないと考えているかもしれない。


確かに今の日本は経済的に豊かになったが、他人との関わりが希薄になっているように思える。

それでも、あなたが助けを求めればあなたを助けてくれる人はたくさんいるはず。


あなたが助けを求めれば。


もし、あなたが今まで誰も私を助けてくれないと感じていたのなら、それはあなたが悩んでいることを隠していたから。

さすがに、見知らぬ人に「そこのあなた、悩んでいませんか。私に何かできることはありますか。」などと聞いて回る人はいない。

でも、「息子が重病で手術にお金が必要なんです。ほんの少しでいいです。助けてください。」と道行く人に呼び掛けていると数人ではない、大勢の人が多少のお金を分けてくれるだろう。

他にも、大地震である地区が大災害にあったとニュースで報道されれば、多額の募金が集まる。


世の中には誰かを助けたいと思っている人がたくさんいる。


あなたを助けたいと思う人もいるはずだ。


もし、あなたが今も悩み苦しみ続けているのなら誰かに相談してみるといい。

誰も相談できる相手がいないというのなら、私に相談してみてはいかがだろうか。

私はまだまた経験未熟な若輩者だから、あなたの悩みを解決できるかどうかは分からないが、私のできる限りを尽くして誠心誠意答えようと思っている。

まぁ私は精神科医とかじゃないので、あまり期待はしないでもらいたい。

それでもよければ、どうぞ下記のリンクからご相談を。

onayami.jpg


追記

ひとりで悩んでいてもいいことはない。
特に自分では解決できそうにないことは。

自分で解決できないのだから、いくら悩んだって答えなんて出ない。
悩み続けることは過大なストレスを与える。
また、悩むのには相当のエネルギーがいる。
悩んでいる限り、他のことが楽しめなくなる。
そして、うつ病になりやすい。

ろくなことはない。

これは7年間悩み続けた私の経験則だ。

もう一度言う。

ひとりで悩んでいてもいいことはない。
posted by SAI at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

働くということは

「なぜ働かなくてはならないのか」

考えたことがないだろうか。


「生活するため」
「お金をもらうため」

これは誰もが思うことだろう。


仕事をせずに生きようとするならばすべて自分一人でやらなければならない。
野菜などを作ったり魚を捕ったりして食物を確保し、調理も自分でしなければならない。
着る物も自分で作らなければならない。
住む家も自分で造らなければならない。

よくよく考えてみれば人が生きていくということは大変なことだとわかるだろう。


ひとりひとりが勝手に生きていてはその生きるための作業だけでほぼ手一杯になる。


だから昔の人たちはそれぞれの作業を分担して効率化した。
誰かは食物を作ったり捕りに行ったり、誰かはそれを調理したり、誰かは家を作ったりして作業を分担した。
昔は物々交換であったがやがてお金という概念が生まれた。

だからお金というものは生きるための作業の対価として支払われるものである。


「働かざる者食うべからず」


働いていない者は自分が生きるための作業もせず、その対価と成り得る仕事すらしていない。
だから誰かが作った食べ物は食べてはいけない。
仕事をしないならば生きるための作業は自分ですべて自分がしてみせろということである。


つまり、私たちは家に住み、衣類を身に着け、食べ物を食べている限りはその対価として働かなくてはならない。


言うなれば、働くことは生きるための対価である。

posted by SAI at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

才能の開花

人は何かしらの才能を持って生まれてくる。

当然、あなたにも何かしらの才能があるはず。


才能を開花させたものは自分の生き方に自信を持ち、存分にその才能を発揮し、日々を溌溂と生きていける。

才能を開花させたものは周りにも良い影響を与える。

自分の存在価値も高まり、日々幸せを感じて生きていけるだろう。



人は才能を開花させる義務がある。



一概には言えないが、人が生きる目的は
「死ぬときに生まれてきてよかったと思えるような生き方をすること」
「自分自身が幸せになること」
「社会に貢献すること」
「他者に尽くすこと」
であると言われている。

才能を開花させることにより、自分が何のためにこの世に生まれてきた意味が分かる。
充実した日々を送ることができる。
幸せも感じることだろう。
才能を発揮し、それを人のために尽くせば社会はきっと良くなる。



もう一度言おう。

人は才能を開花させる義務がある。

あなたにも才能を開花させる義務がある。



「自分には才能なんて何もない。」

そう嘆く人がいるだろう。

そういう人は自分の中の可能性にしっかりと目を向けたことがあるだろうか。

その可能性を信じて努力しているだろうか。


才能を開花させるには努力が必要なのである。


あなたの才能が開花していないのは、自分の可能性を信じきれず努力をしていないか、自分のことを理解しておらず努力の方向性を間違っているか、だろう。


自分をしっかりと理解し、自分に何ができるのかを考える。

自分のなかにある可能性を信じて、努力する。

そうすれば、自分の才能というものも分かってくる。


大事なのは焦らないこと。


自分の才能というものは簡単にわかるものではないし、すぐに開花するというものでもない。
自分を信じ続けて努力した先にあるものだから。

posted by SAI at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

私が変わったきっかけ

「私は何がしたいのだろうか…」
「私は何のために生きているのだろうか…」
「生きている価値はあるのだろうか…」
「生きることに意味はあるのだろうか…」

考えても考えても答えは出ない。
悩んで悩んで、悩みぬいても答えは出ない。

人生・哲学などの本を読んでも、ネットで調べてみても答えは出なかった。
誰の言葉も私の心には届かなかった。

そして、私の心は病んでいった…。

約2年間、私は悩み続けた。
すべてに絶望していた。
未来に何の期待もできなかった。
精神的にも限界に達していた。

「…死のう」

私は死ぬべくして家を出た。




23歳、大学4年の就職活動中のことだった。
「就職どうすっかなぁ」

やりたいと思える仕事は何もなかった。
夢も希望も持っていなかった。

やりたいと思える仕事があれば、その職業に就けるよう努力するのが普通だろうが私にはそれがなかった。

当然、就職活動にやる気は起きず。
当時の私は会社勤めしか進路はないと思っていたが、会社勤めというものに嫌悪すら感じていた。

毎朝早起きして満員電車に揺られ、仕事に拘束され、煩わしい対人関係に悩む。
昇進するために多大な努力と忍耐を繰り返した挙句、気がつけば40代・50代。
そんなイメージしかなかったからだ。
夢も希望も持てるはずがない。

就職活動は15社目の不採用通知を最後に停滞した。
そこから私は苦悩し始めた。


「私は何がしたいのだろうか…」
「私は何のために生きているのだろうか…」
「生きている価値はあるのだろうか…」
「生きることに意味はあるのだろうか…」


「何もしたいことがない」
「何のために生きているか分からない」
「私に生きている価値はないんじゃないだろうか」
「どうせいつか死ぬのだし、生きる意味なんてないんじゃないだろうか」

そんな考えばかり浮かび、私の心は病んでいった。
やがて大学にも行かなくなり、留年した。

状況は悪くなる一方で、ますます私の心は病んでいった。
とりあえず、大学は休学することにしたが、状況が良くなるわけでない。



そこから1年間悩み続け、鬱になった。


精神科に通うようになったが改善されない。
むしろ「精神科に通うなんて私はなんて弱い人間なんだ…」と
劣等感に押しつぶされそうになる。
精神科医には「どんなに苦しくても自殺だけはしないように」と言われていたが、
「もう自殺した方が楽になれるのではないか…」
そう考えるようになっていた。



それからさらに1年後、悩み続けても答えは一向にでなかった。

私の心はもう限界に達していた。
「私には生きている価値はない。生きていても周りに迷惑をかけているだけだ。…死のう」


死への恐怖はあった。
私は無神論者だった。死後の世界は「無」であると思っている。

見ることもできず、
聞くこともできず、
しゃべることもできず、
暑さも寒さもなく、
何も感じることもできず、
何も考えることもできない、
何もない世界。

これに私は絶望的な恐怖を感じていた。
それでも私は死のうと思った。


ただ死ぬ前にふと海が見たくなった。
漫画かアニメで「主人公が悩んでいるとき、海を見て考えていたら答えが出た」というシーンがあったのが心に残っていたのだろう。
最後の悪足掻きで先の問いを、海を見ながら考え、それでも答えが出なければ死ねばいい。
そう思った。

私は考えをまとめるための手帳とペン以外は何も持たず、家を出て海を目指して歩き出した。

出発地点は埼玉県。目的地は一番近い海岸。


以下はそのときの手記。




6/25(月)

たるんだ体で歩き出す。
半日も歩けばもう知らない景色。
すでに足が痛い。

見知らぬ地域に来ても
人であふれかえっている。
皆は何のために生きているのだろうか。

たくさんの人が当たり前のように働いている。
見ていると自分は何をしているのだろうと、自己嫌悪が強まる。

夜になり、静まり返った林道を歩く。
歩きながら、今までの人生を振り返る。
笑いが込み上げてきた。
同時に涙がこぼれ落ちる。

私は今まで何をしてきたのか…
何一つ成し遂げていないではないか…

本当に何もない、くだらない人生だった。
消えてしまいたい。

いっそ思考が止まってしまえばいい。
そう思った。



6/26(火)

昨日から小休止をはさみながら徹夜で歩き続ける。

腹減った…

途中コンビニで、現在地を確かめるため地図を立ち見。

まだだいぶあるな。

まぁ、ゆっくり行こうと思う。
どうせ死んでしまうのだから…

夜が明けて、さすがに体が睡眠を欲していた。
公園があったので、そこで仮眠を取ろうとするが、
ろくに眠れない。

住居の大切さを知る。

多少体力が回復したので、また歩き出す。

夕時、小学生・中学生・高校生、たくさんの学生を見かけた。
近くに学校があり、帰宅時間とかぶったのだろう。


彼・彼女らには私のようになって欲しくないと思った。

子供の頃から夢を持ち、努力し続ければきっと立派な人間になれることだろう。

学校は知識を詰め込むだけでなく、精神面での教育にもっと力をいれるべきではないだろうか。

私のような人間を出さないためにも。

そんなことを思った。



6/27(水)

やっと栃木県。
栄えてないな…

夜道を歩いているとどうしても考えてしまう。
どうしてこうなってしまったのかを。

振り返れば、主体性のない生き方を続けてきたものだ。
自分からこれがやりたい!と言ったことはなかったように思う。
小学時代もすべてまわりに合わせるように行動していたように思う。
中学の部活もただ誘われたからという理由でバスケ部に入った。
当然向上心もなく、うまくなるわけはない。
ただ練習が辛いだけだった。
高校進学も周りがそうするからと近場の高校を受験した。
高校でも自発的に何かしようとは思わなかった。
部活は入らず、くだらない毎日を過ごした。
その後の進路もまわりがそうするからと大学受験。
適当な大学を受験。すべて不合格。
予備校に一年通い、2流大学に合格。
大学でもやりたいことなどなかった。
大学は本当に無駄な4年間だったと思う。
学んだことなどひとつもなかった…

学費のことを思うと親に多大な迷惑をかけたと
申し訳なく思うと同時に自己嫌悪で押しつぶされそうになる。

こんな自分生きていてもしょうがない。

いっそのこと誰か私を殺してほしい…



6/28(木)

一本道をただひたすら歩いているとどうしても考えてしまう。
私は何もするために生まれてきたのか…
何も残さず、死ぬために生まれてきたのか…
これまでの人生に意味はあったのだろうか…

…もう、よそう。

考えれば考えるほど苦しい。

体も限界に近い。
気力も尽きそうだ。

ただ、ここまで来たのだから最後に海が見たい。

その一心で歩き続ける。



6/29(金)

分かっている。
こうなってしまったのはすべて自分のせいだということを。

全くと言っていいほど主体性のない生き方が悪い。
問題が起こっても即時解決に向かわず、先延ばしにするのが悪い。
やろうと思っても行動に移せないふがいなさ。

鬱病になってしまう心の弱さ。

人と本音で話さなくなったのはいつからだったろうか。
自分をさらけ出すのが怖くなったのはいつからだったろうか。

そんなだから薄っぺらな友人関係しか作れなかった。

情けなくて涙が止まらない…



6/30(土)

霞ヶ浦に着いた。

体が限界のようだ。
土手に座り込む。

そこでずーっと霞ヶ浦の景色を観ていた。
何時間もその景色を観ていた。

そして、ふと思い出した。
子供のころやりたいと思っていたこと。

「世界中の美しい自然の景色を観てまわりたい!」

どうして忘れていたのだろう。

思い返すともう何年間も自然の景色をじっくり観ることなどなかった。
見えてはいても観てはいない。
日々の雑事に流され続け、やりたいことを見失っていた。

もう一度、生まれ変わったつもりで生きてみようか。

そう思えた。

今までの過去が変わるわけじゃない。
自分の嫌だと思う性格もすぐに変えられるわけじゃないし、
自己嫌悪もすぐにはなくならないだろう。
未来が良くなる保障などもない。

それでも生きて自分の望むように努めることで変えられるかもしれない。
死んでしまえばその可能性は完全に失われる。


生きていくなかでやらなければならない面倒な雑事を前に逃げ出したくなる気持ちがなくなったわけでない。
死んだ方が楽だと思えることも多々あるだろう。

しかし、死ぬ気概で頑張れば成し遂げられないことなどそうそうないのではないか。

もう一度、やり直そう!

そう思い、私はまた歩き出した。

新たな決意と古びた夢を胸に抱いて…

(ちなみに帰りは…初めて警察のお世話になりました(恥)。)




その後の私はというと。

なんとか生きている。


休学していた大学は退学することにした。
その大学が専門としていた分野に興味はなかったし、肩書きだけの卒業なんて欲しくはなかった。


その後、なんとか仕事に就き、休日には美しい景色を探して旅に出る毎日である。


美しい景色に出会うと幸せを感じる。

以前の自分を考えると信じられないほどに。


すべてが良くなったわけではない。

でも、きっと変えていける。

今では、そう思えるようになった。


自分の気持ち次第で、人生は好転する。
生まれ変わるなら生きているうちに。
posted by SAI at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月20日



自分には自分に与えられた道がある。

天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広い時もある。
せまい時もある。
のぼりもあればくだりもある。

坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たして良いのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。


しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。


自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。



他人の道に心うばわれ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。

心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。



深い喜びも生まれてくる。


(松下幸之助『道を開く』より)
posted by SAI at 13:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
☆☆ にほんブログ村ランキング・あなたの応援クリックお願いします ☆☆

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。